心騒ぐ神さま

2024/03/16

ゲセマネ 大祭司 不安

 「今、わたしは心騒ぐ。何と言おうか」 ヨハネ福音書12章27節

2024年3月17日大斎節第5主日

Henry Siddons Mowbray: Gethsemane. 1915-1925.

イエスさまが心を騒がせている。何と祈ればよいか分からないほどに騒がせている。見ているのが辛くなる場面ですが、より深く見つめると、これは大きな慰めです。私たちが信じられずに心を騒がせるときも、神さまが共にいてくださることの表れだからです。

クリスチャンでも私たちは心を騒がし、不安になり、恐れ、動揺します。病い、老い、経済的不安、人間関係、仕事や家族の役割の重責、そして死の苦しみと死の悲しみに面するときは必ず来ます。そんな時、神さまを100%信じたいものですが、簡単ではありません。

不安や恐れは神さまを信頼しない罪とも言えます。ですが神さまはこの罪に苦しむ私たちと共におられます。罪の結果の不安と恐れを自分のものにし、私たちの罪と共に死ぬ。そうして罪は消え、神さまを仰ぎ、解放される。死から命に至るまで共にいてくださる。「罪と共にいてくださる。」それが罪の「贖い」です。(特祷) 私の罪を生きて、死んで、復活してくださる。私のために犠牲になってくださる。それが「大祭司」イエスさまです。

私たちの罪と共にいる。そのためにイエスさまは死の杯を飲まねばなりませんでした。ヘブライ書のイエスさまは「激しい叫び声をあげ、涙を流しながら」祈ったといいます。(5:7)私たちすべての不安と恐怖の罪と最後まで共にいる。それはどれほど苦しいことか。

だからこそイエスさまは今、復活後に新しい体で、どこでも私たちと共に生きていて、私たちが心騒がせる罪と共にいて、嵐の中で共に涙を流し、叫んでくださいます。

私たちの「心騒ぐ」罪と共にいて祈ってくださる。それが民と共に祈る「大祭司」です(ヘブ5:5)。です。人となった神さまが私たちの祭司として祈ってくださる。どんなに不安で怖くて信じられなくても、神さまに届かないことはありません。

  聖餐式の代祷は、大祭司イエスさまによる「心騒ぐ涙の叫び」でもあります。私たちの罪と共にいる神さまの祈りです。大斎節と聖週、イエスさまと共に全ての心騒がす恐れと不安の罪の贖いを祈りましょう。信じられない罪が赦されるように祈りましょう。世界の罪が赦され悔い改めるように祈りましょう。そして復活によって、感謝と賛美へと変わる日を待ち望みましょう。  

「心騒がせる日、信じられない罪に苦しむ日、わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを贖う。」


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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