「わたしの気前の良さを妬むのか」マタイ福音書第20章15節
2023年9月24日 聖霊降臨後第17主日(特定20) 聖餐式
Andrei Mironov (1975 –) |
不公平な話です。
あるぶどう園の主人が日給一万円で朝一番に人を雇います。彼らは熱風にさらされ一日中頑張ります。主人は正午と三時と夕方にも人を雇って働かせました。
そして日が暮れて報酬をもらうとき、主人は夕方に少ししか働いていない者に一万円を渡しました。多く働いた者はもっともらえると思いました。しかし賃金は・・・同じ一万円。不公平だ! 無慈悲だ!
怒り心頭の人々に主人は慈しみをもって語りかけます「友よ・・・わたしの気前の良さを妬むのか。」この呼びかけへの答えは私たち読者一人一人が決めることです。
怒った労働者の中には気づいた人もいたと思います。最も大切な主人の愛を。主人はただ雇用契約を結んだのではなくて、一人一人を心から愛していた。そして働く出番と報われる喜びを与えたかった。そしてこの同じ愛を主人は自分にも注いでくださっていた。だからもう私は彼と比べなくてもいい。主人は自分を愛してくれている。それで十分だ。自分の妬みは主人の愛によって消えた。
私は自分たち四人兄妹への母の愛を思います。私は病気のおかげで他の兄妹のように多くの楽しい時を母と一緒に過ごせません。母が他の兄妹と仲良くしている写真を見ると、妬ましくも思います。しかし母と接するにつれて、自分が妬んでいるのは母の一人一人への愛であり、同じ愛が私にも向けられていると深く知り、私の妬みは母の愛によって消えていきました。
イエスさまも一人の人間として妬むこともあったはずです。なぜモーセやエリヤのように幸せに死ねないのか。しかしモーセやエリヤを愛した父の愛は自分にも向けられていると知ったとき、イエスさまの妬みは消え、父の愛に身を委ねられました。そして父の愛と一つになって人類を深く愛し、ご自分の命を私たちに与えたのです。
神はご自分を与えるほどに私たちを愛しておられる。この愛はどんな妬みをも消していきます。