地獄ではなく命を選べ 「地獄の消えない火の中に落ちるよりは」 (マルコ9:43)

2021/09/24


  子供の頃に旅先で見た地獄絵図は恐ろしいものだった。罪の種類に応じて鬼に痛めつけられる。まさに自業自得の世界だ。

 「イエスさまはただ優しい」と思い込み、都合の悪い聖書箇所を無視しては、イエスさま自身を無視することになる。イエスさまも地獄を教えた。もしも体の一部があなたをつまずかせるなら、そのまま地獄に投げ込まれるより体を切り捨ててでも神の命に入れ、と。もちろんこれは文字通りではなく譬えであり、信仰生活を送る上での自由選択の責任を言う。あなたの自由な選択は、神の命に入るか地獄に入るかほど重大な結果に繋がる。だからきちんと私を選べ、と。


 ただしイエスさまの地獄の教えは自業自得の法則ではない。死後の世界についての憶測ではない。他人についての無責任な推測ではない。イエスさまは死後の世界に興味はない。これはまっすぐで現実的な警告だ。呼びかけだ。地獄はこの世で既に始まる神からの隔離、神の不在を自ら選ぶ苦しみだ。神の恵みを拒む頑なさだ。そんな地獄ではなく、命を選べ。命の源に私が連れて行くから、と呼びける声だ。


 神はあなたの運命を自業自得の法則に任せたりはしない。生きているうちから私たちに命を呼びかけ、救い出す。「命を選べ。信じることを選べ。兄妹が命と信仰を選ぶことを助けなさい」と。


 神は愛だ。誰の地獄をもお望みではない。人を愛し救う存在だ。この愛の呼びかけに従わない状態こそ地獄なのだ。


 従うことは犠牲を伴う。自分の一部を捨てて本当に大切な神の命を選ぶことだからだ。でも大丈夫。イエスさま自ら父を選んで自分の命を捨てられた。そして地獄に降り、復活された。だからこそイエスさまは必ずあなたと共にいて、たとえ地獄にいてもその手を握って導き出してくださる。そして自分自身よりももっと大切な神の命をあなたにお与えになる。


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「キリストの地獄降りキリストが地獄から魂を救い出す」アキテーヌ女公詩編(1185年頃)、オランダ国立図書館蔵

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