一緒に燃やされて 「炎のような」 (使徒言行録2:3) 

2021/05/19

ストレスか、体調か、祈りのなさか、心が冷たい日は神も愛も感じない。聖書も祈りも礼拝も、ただ重い負担にしか感じない。そんな日こそ聖霊が必要で、聖霊が降るのを信じる。


旧約聖書の昔から、神は「炎のような」燃える愛として現れてきた。モーセには「燃え尽きない柴」として現れ、民を救い出した。その後シナイ山へと「昇った」モーセは、神の炎の中で、民が生きる道を示す十戒の板を持って降ってきた。ペンテコステ、五旬祭は本来、この炎の律法授与を祝う日だ。


イエスさまが復活して50日目、つまり神の次元である「天へ昇って」10日目、弟子たちは主が遠く離れたあと、必死に「約束された聖霊」が降るのを信じていた。


そこに竜巻のような音の内に聖霊が吹き荒れ、「炎のように」昇天したイエスの霊が降ってきた。そして「舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」(2:3) 遠く離れて漠然と見守るのではなく、一人一人の心の内に、その根底に、神の炎を燃やした。自分の人生の物語に愛の火がついた。そして他国の言葉で、相手の人が分かる言葉で、神の愛を語りはじめた。それが教会の原型だ。


分かっている。私たちはそんなに「愛に燃えて」はいない。しかし天に昇った新しいモーセであるイエスさまは今日、私たちに愛の炎を降される。心から聖霊を必要とし、聖霊を信じて祈って待つ人は、必ず愛の炎に燃やされる。


ただ、この炎は自らを焼く炎だ。イエスさまも父から聴いて自ら燃やされた炎だ。「友のために自分を捨てること」(ヨハ15:13) これ以上に強い愛の炎はない。


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「聖霊降臨」サン・テチエンヌ典礼書,12世紀,国立図書館、パリ

https://www.wga.hu/html/zgothic/miniatur/1151-200/3french/17french.html

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