自分を変えて 「どうして礼服を着ないで、、、」マタイ22.12 (特定23)

2017/10/15

 
 ある父親は「教会の繋がりだから」という理由で、一人の信徒を息子の結婚披露宴に招待ました。「祝い金も要らないから」と言って。しかし来た客は食卓のご馳走をたいらげることに終始し「おめでとう」も言わずに帰ったのです。ただ喜び祝う、という心の礼服を着て欲しかった、そう言って父親は怒りました。  
 婚宴の譬えでは、急に呼ばれた貧しい人でも礼服は身にまとえる、という前提です。礼服を着る姿勢、と理解すれば良いでしょう。   
 神の婚宴に入った私は礼服を着ているか。着ていないなら外の暗闇へ出される。都合の悪い聖書の言葉は無視したくなります。「既に」救われたはずの信仰者は悪夢にうなされます。こんなに厳しいのは本当にイエスの神なのか。  
 しかしこの厳しさこそ「変わってほしい」という神の願いなのです。神はそのままの私たちを愛されますが、罪人のままでいいとは願われません。実際に変わって欲しい。礼服をまとい、心を目に見える形に表して欲しい。  
 礼服はそれぞれ寸法もデザインも違います。しかしそれを着る行いは、喜び祝う心を見える形に表す行いです。婚宴に招かれた喜びを。  
 あなたはどんな礼服を身にまとって神の婚宴へ行きますか。


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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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