「焼いた魚を一切れ、、、彼らの前で食べられた。」ルカによる福音書24.42
2015年4月19日 復活節第三主日
「主と共にする食事と使徒たち」ティソット,18861894,ブルックリン美術館NY |
「さんまは骨ごし食べるもんや」そう言って目の前でバリバリと頭から尾まで食べて見せてくれた神学館の同級生がいました。さんまを食べるごとに彼の人柄を想い出します。見かけは立ち飲み屋の大将みたいにごっつい。でも心はとても真っ直ぐで繊細。シャイなのに人一倍面倒見が良く、人付き合いが苦手な私によく付き合って下さいました。「同じ釜の飯を食った仲」と言いますが、一緒に食ったの内に、仲間や家族や大切な人の記憶は密封保存されています。
そんなの記憶を用いて、復活のイエスは現れました。ガリラヤからエルサレムまでずっと一緒に飯を食った親しい存在として現れました。
それは「イエス復活」の噂によって、亡霊との違いもよくわからず騒然としていた弟子たちの真ん中にでした。イエスが立ち現れて「平和」を与えます。そして「亡霊だ」と怖がる弟子たちに、自分の手足を見せ、肉や骨を触らせ、焼き魚をバリバリ食べて見せて説得するのです。
「復活した私は亡霊じゃないぞ。ほら、お前たちと同じ人間の体じゃないか。さあ見てくれ、触ってくれ、ほらこうやって、、、焼き魚は美味しいな。」 そう言って笑いかける主につられ、柔らかく笑い始めた弟子の顔が思い浮かびます。
復活はフワフワと天国に浮く亡霊ではない。今ここで一緒に食事をする喜びを体で感じるようなもの。復活の命は「あぁ今確かにここで生きている」と肉体をもって感じるほど生々しい。