「自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。」 1テサロニケ2.8 (A年特定24)

2014/10/26


聖ディミトリウオス聖堂、テサロニケ、ギリシャ、 629–634年頃建造、世界遺産


自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。

「あの牧師先生、あれだけ熱心だったけど、実は信徒からお金を騙し取ったらしいよ。いやいやそれだけじゃない、なんだかある人と男女の関係になってしまったってさ。だいたいあの人にとって一番大切なのは自分の名誉や立場なんだ。」
 こんな週刊誌のようなうわさ話が流行って信徒が動揺することは、聖書の時代にもありました。悪い聖職者は昔も今も実在するのです。そこでパウロは自分が開拓し、愛してやまないテサロニケ教会の信徒に手紙で訴えてます。
 「わたしを信じてくれ。あの過酷な状況の中でもわたしは福音をあなたに伝えた。その動機は純粋で、へつらわず、嘘偽りのないものだった。そうだろ。神が証明して下さる。わたしは自分の命だって惜しまず与えたいと願ったんだ。頼むから、わたしを信じてくれ。嘘つきに騙されないで」と。
 パウロの弁明の最終的な証拠は、愛でした。母親が子に乳を吸わすように、わたしはあなたたちを愛した。命を与えてもよい、それくらいに。
 本物か偽物か、それを判断する最後の基準は愛です。その人がどれだけ真摯に愛したか、です。イエスさまが最も重要とした掟は「神を愛し、隣人を愛する」愛の掟でした。そして何よりまず自らが「ダビデの子」つまり100%の人間として喜と悲しみと弱さの中から十字架に至るまで人を愛されました。この愛の生き方を通して100%の神の命がわたしたちに与えられるのです。
 この愛を信じて欲しい。そう訴えるのはパウロもイエスも神も同じ。どうか、わたしの愛を信じて、本当のわたしの命を受けてくれ、と。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 イエス 信仰 受肉 祈り 三位一体 神の国 聖霊 アッバ 癒し 赦し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ アブラハム クリスマス ゲセマネ 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 羊飼い 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ