離婚という人間の現実について、イエスは明確に「ならない」と宣言します。心のさ、自分勝手、不誠実ゆえに人は離婚します。しかし本来、神は男と女を一体にして「結び合わせる」存在。人間が自分勝手に切るなら、神は悲しむ。なぜなら神はあなたを人と結び合わせ、共に生きる喜びのために、生れさせてきたのだから。
しかしこの宣言は、決して離婚経験者を「失敗者」として裁くためではありません。神は必ず小さくされた人と共にいる。身勝手な男によって虐待され、痛んでいる女性や子供に「離婚するな」と、主は決して言わないと思います。
なぜなら神は、助け合うため、愛し合うために「結び合わせる」存在だから。痛め合う関係は、この神のみ心に反するからです。
また、どんなに正当な離婚だったとしても、人はこの神の意志を無視できません。だから、神の意志に応えられない人間の無力を悔い改め、新しい命の恵みを願うしかないのです。
「離婚は必ず無傷では終わらせない。」離婚を禁じたイエス様は、その痛みをも知っています。
だからこそ神は、もはや無傷でない人間の、その傷と人間性を、自ら人間となることで、ご自身のものとされました。十字架の傷のうちに、傷ついた人とご自分を結び合わされるのです。