聖霊を飲めば

2012/05/27

三位一体 障害 聖霊

 

聖霊降臨 聖カタリナ修道院

「聖霊降臨」聖カタリナ修道院至聖所飾り(12世紀シナイ山)

皆一つの体となるために洗礼を受け皆一つの霊を飲ませてもらったのです

(1コリ12-4)

 角砂糖が消えて砂糖水になるように、キリストは昇天して消えて教会員一人一人がその体となる、というのが先週の説教でした。しかし肝心なことには、自分を自然のままほっておいても、キリストの体には決してなれないのです。一人一人が、聖霊を「飲んで」初めてキリストの体になるのです。

 左手の天才ピアニスト、舘野泉がNHKで特集されました。脳梗塞で右手の自由を失い、2年間の絶望のなか、演奏に「飢えた」そうです。しかし「左手だけの音楽を弾けばいいんだ」と悟り、新しい音楽の境地を開かれました。今は、「左手だけだからこそ、音楽の本質を愚直につく」と絶賛されています。

 舘野泉は言いいます。「左手だけとは、障がい者の音楽でなく、一本でも三本でもそのままの、音楽。障がい者、という区別でなくて、そのままの存在で、独自の音楽」と。

 ここで体は、その障害や限界を超えて、自己超越へ、神への道しるべとなります。キリストの体である信仰者も同じです。罪という、障害や制約のある体は、ほっておけばダメなままです。しかしそんな体でも、命の源から湧き出る聖霊を飲めば、最も自分らしい御前の命への道しるべとなれるのです。

 これは曖昧な霊ではない。イエスが生き、生かされた、父と子の霊です。この聖霊を飲んで初めて私たちはキリストの体となり、神の道しるべとなる。それが聖霊降臨です。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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