神に触れる

2024/04/10

受肉 聖餐式 復活

 「手で触れたものを伝えます」1ヨハネ1:1

2024年4月14日復活節第3主日

Christ Appears to Mary Magdalene on Easter Morning (Noli me tangere). ヤン・ブリューゲル (子), ピーテル・パウル・ルーベンスc. 1626年

    赤ちゃんを抱いてその柔らかい頬に触れる時、私は神さまに触れた気がします。

 復活のイエスさまは、信じない弟子たちに体を差し出して言われました。「触ってよく見なさい。」(ルカ24:39)実際はともかく復活の体は、新しい体ですが、私たちが触れることができる体です。

 ヨハネの手紙は第一世代の弟子たちのこの体験と信仰を告白しています。「よく見て、手で触れたものを伝えます。すなわち命の言について」(1:1) 言とはヨハネ福音書での神の名です。私たちの神は非肉体的な存在だけではなく、身体的に感じることのできる神でもあります。「私たちは神に触れたのだ」と。 

 復活前から弟子たちはイエスさまと寝食を共にし、共に魚を食べ、癒しを働き、死後にはその体を埋葬しました。イエスさまの体に触れた、または触れられるほど近くにいました。そうして神は私たちの五感をご自分を体験する道具として祝福されたのです。

 この五感を通した神信仰が、弟子たちによって次の世代へ、またその次の世代へと語り継がれ、それが大津聖マリア教会へ届いたのです。

 もはやイエスさまは「昇天」して第二世代以降は直接触れることはできませんが、人となって死んで復活した神さまは、私たちの五感を祝福し続けられます。死を超えてご自分が近くにいることを、日常生活の中で体で感じさせようとしておられます。

 聖餐がそうです。パンとワインを通して私たちは神の存在に触れます。神は私たちに触れられます。日常生活はこの聖餐体験の延長です。

 イエスさまは言われます。「わたしはいる。触れられるほど近くにいる。あなたもこの信仰を人に伝えなさい。」

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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