捨てられても 「わたしは歌おう・・・ぶどう畑の愛の歌を」イザヤ書第5章1節

2023/10/04

ぶどう園 十字架

2023年10月8日 聖霊降臨後第19主日(特定22)
Parable of the wicked farmers. Cologne, frater Nycolaus (scribe); c. 1450 National Library of the Netherlands
 「ぶどう園の農夫の譬え」で主人とはヤーウェなる神、ぶどう園はイスラエルの民、農夫は祭司ら指導者、そして息子はイエスさまご自身です。そして引用元のイザヤ書5章ではこの譬え全体が「愛の歌」だとされています。
 神はその愛を世界に輝かせる「諸国民の光」としてイスラエルを召し、愛を注ぎました。そして多くの愛と恵みを注いだ後に、愛の応答を受けようと預言者たちを遣わしました。しかし指導者らは彼らを殺し、愛と恵みを独占しようとしました。そこで最後の手段として神は自分の息子を送りました。最後まで捨てられること、傷つくことを恐れず、愛を呼びかけ続ける。それが神さまの愛し方です。
 しかし指導者らは、恵みを占有しようと、この独り子をも十字架刑につけて殺しました。罪は裁かれるべきです。神は指導者らを滅ぼし、神を信じて愛し合う人々を神の民とし、神の国を授けました。
 そしてもう一つの「捨てられた石が隅の親石となった」という表現でイエスさまは、自らの死と復活を理解し、弟子たちに教えられました。これから捨てられて死んでいく自分は、復活してイスラエルへの神の愛を成就する、と。
 何度捨てられても、どれほど傷つけられても、神さまは私たちを愛し続けられます。そして愛し返すことをお待ちです。捨てられること、傷つくことを恐れない愛。この愛に生かされ、この愛を生きる人生こそが神の国です。
 私たちが捨てた人、傷つけた人。その人を通して神さまは神の国を来たらせ、私たちの真の希望を成就されます。神の愛の歌としての人生を。 
 「愛をもって迎えなさい。わたしの愛する独り子を。」



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