イコン「キリストの誕生」聖カタリナ修道院, 6世紀 |
赤ちゃんの存在感はとても強いものです。ただそこに居るだけで、周りにいる人は優しくなります。救われます。
13年前に子供が生まれた時も私は病気が悪化して休職していました。弱い自分が情けない日々、泣いたり飲んだり眠ったりしている赤ちゃんの存在に私は救われました。
イエスさまの存在、神さまの存在はそのようなものです。ただ共にいてくれるだけで救われます。すべての悪から解放されます。そして新しく生きる力を与えてくださいます。
降誕物語でよく躓くのが「処女懐胎」です。しかし科学的な説明を求めるなら聖書は躓きだらけです。無からの創造、復活、色んな奇跡物語。しかしこれらが指し示すのは「科学的に可能かどうか」ではなく「神さまはどんな存在で、どう働いたのか」です。処女懐胎の物語では、神さまは人間の限界を遥かに超えて命の恵みを与え「共にいてくださる」お方だということです。
この赤ちゃん、人となった神さまはどんな存在か。それは名前に現れています。「イエス」という名前は「自分の民を罪から救う」です。(1:21) 色んな罪があります。確執、冷たさ、ストレス、絶望、裏切り……しかしその根本は「神から離れ、神と共にいない」ことにあります。
では神さまはどう働いて私たちを罪から救うのか。それが別名の意味、「インマヌエル、神は私たちと共におられる」です。(1:23) 神さまは人間となって私たちの罪を担い、私たちの苦しみと共にいてくださった。十字架の苦しみに至るまで共にいて、私たちを癒し、解放し、救ってくださった。そして復活して今、共にいて、聖餐式を共に祝っておられるのです。
「さぁ祝おう。今ここで、私はあなたと共にいる。神は私たちと共におられる。」