なんて厳しく冷たい神さまなのかと思います。「二人の人がいれば一人は連れて行かれ、もう一人は残される」(24:40) なぜ両方連れて行ってくれないのか。神さまは皆を愛しているのではないのか、と。 |
しかし歴史を見るとこれは現実の厳しさの裏返しだと分かります。これが書かれる前の紀元70年、エルサレムはローマとの戦争によって破壊され、多くの人が殺されました。ただし賢く逃げた人は助かりました。逃げる準備があったからです。(24:16-20)
岩手県には「津波てんでんこ」の教えがあります。地震があればまず自分が逃げる。率先して逃げたら皆も真似するし、家族と「てんでんこ」を約束していれば助けようとして犠牲になることも防げる。これは一見すると冷たい教えに見えますが実は、皆が助かるための避難の準備なのです。
再臨もまた「てんでんこ」です。人を気にかけるあまり、自分とイエスさまの関係をおろそかにすれば共倒れして、神の祝福に与かれなくなる。魂の事柄は、結局は本人にしかどうしようもないのです。
だから主は忠告されます。「目を覚ましていなさい」(24:42) いつどこにいても、誰と何をしていても、まず自分が神さまのために準備しておく。世の終わりのような世間の混乱や、個人の苦しみが来ても、うろたえない(ように祈っておく)。そしていざという時、まずは自分がイエスさまの再臨をお迎えします。そして新しく地上に造り直された世界の命を喜ぶのです。
皆さま、「てんでんこ」を約束して新しい世界に入り、抱き合って再会を喜びましょう。