「サムエルによるダビデの油注ぎ」フランソワ=レオン・ベヌヴェル、1842年、コロンブス美術館、米国
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苦手な人を見る自分の目は、偏見に縛られ見ている。過去の嫌な一言や行いで相手を見る。だから今、目の前にいる相手と新しく出会えない。
しかし「主は心によって見る。」偏見に騙されない。初代の王サウルは背の高さで選ばれた。(サム上9:2) だが神は新しい王を「心」で選ぶ。長身の兄七人からは誰も選ばれない。そして皆が忘れ去り、野原で羊の番をさせられていた末っ子ダビデが選ばれ、新しい王として油と霊が注がれる。神は人の思いを超えて、自由に、ご自分の器を選ばれる。
そして神の自由は「心で選ばれたなら醜いはず」という偏見さえ裏切る。登場したダビデは「血色がよく、目は美しく、姿も立派」だった。人の思いを超えて、神は選んだ人には何でも自由に与える。実際、ダビデの心は清さからは程遠かったにも関わらず、主はダビデと契約を結び、憐みを与え続けられた。
神が人となられた時、人を見る目が過去に縛られている人は、そのお方と新しく出会うことができなかった。主イエスは皆に犯罪者と見なされ、死刑にされたのだ。ただ神は、ご自分が選ばれた者の目を、人の偏見を超えて開き、ご自分を見させるお方だ。
神はあなたを選んだ。だから人の思いを超え、自由にあなたの目を開き、新しく出会わせてくださる。苦手な人にも、好きな人にも、そして神ご自身にも。