神の友「主の栄光は…山の頂で燃える火のように見えた」出24:17 (A年大斎節前主日)

2020/02/21


神の友
「主の栄光は…山の頂で燃える火」24:17
人の目は、輝く。親友と出会った朝、共に旅した日、人生を語りあった夜。友情の内に、人は輝く。
主教アンブロシウス(397)は、シナイ山のモーセについてこう言う。「神の形を見るのは奴隷ではない。神を愛し神に愛される友だ。」神の栄光は神との友情から発しモーセの顔を照らし、目を輝かす。
そして友情の内に、使命が共有される。「モーセよ、頼んだぞ。わたしの民を、裏切りの荒れ野を超えて、約束の地まで導いてくれ。一緒にいくから。」
イエスさまもモーセのように、十字架の苦しみに向かう前、山で父なる神と会話を交わされた。それは「わたしの愛する子」と呼ばれる親子関係のような、「愛し愛される」関係だ。この関係が輝いた。それが「山の頂で燃える火」のようだった。(24:17)
父と子の友情は救いの使命を共有した。神を裏切る民が赦され、罪と死から解かれて神と結ばれるため、自分の命を犠牲にしてまで罪を滅ぼした。「イエスよ、頼んだぞ。わたしの民を、罪と死から、わたしの復活の命まで導いてくれ。一緒に行くから。」
「主の栄光」は非人間的ではない。神と人の間に燃えて輝く友情、契約、絆、愛し愛される関係だ。主イエスが「神を裏切った罪」を十字架で死なれたのは、私たちを神の友にするためだ。私たちに「友よ」と呼ばれる主の杯を飲み、神の友として、神の使命を果たそう。


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