捧げる相手がいる「贈り物として捧げた」マタイ2:11 (A年降誕後第二主日)

2020/01/05


 生きる目的が分からず、苦しみ悩んでいた青年時代、福音書を迎えて「ハレルーヤ」と喜び歌う会衆の中で私は主に出会った。「これこそ自分が人生を捧げる相手!」まだ途上だが、自分を捧げる相手に巡り会えた喜びは今も心に響いている。
 占星術師らは「喜びに溢れた。」それは金や乳香や没薬の高価な贈物に表れた「自分の命さえ捧げて良い」と思う相手に出会った喜びだ。今までずっと星を調べて待ってきた。その長い暗闇の時間は決して無駄ではなかった。この方に成就した。
 その相手は、古く聖書に予言され、イスラエルの民が待ち望んできた「油注がれた王。」ユダヤ人の王であるだけでなく、東方の博士らが表す異邦人、人類全て、「地上の氏族全て」の王(創12:3)。わたしもあなたも、あの人も、それぞれが自分の全てをこの方に捧げるとき、本当の喜びが溢れる。
 これは戦時中の「滅私奉公」ではない。捧げれば捧げるほど自分の命が生かされる、自己奉献の喜びだ。神はアブラハムとの約束を果たし、イスラエルの王イエスの内に、自らの命を私たちに贈られた。十字架と復活で、ご自分の命を捧げられた。この命に預かるのは、どんなに小さくともよい、私たち自身が神に自分の人生を捧げるときだ。
 「自らを捧げて行う」聖餐式によって、私たちは変わる。「自分を捧げる相手がいる」喜びによって、「自分を喜んで与える人」に変えられていく。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 イエス 信仰 受肉 祈り 三位一体 神の国 聖霊 アッバ 癒し 赦し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ アブラハム クリスマス ゲセマネ 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 羊飼い 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ