出てきて欲しい 「どこにいるのか」 創3.9 (特定5)

2018/06/10


  そう叫んで自分を探す声がする。裏切った罪悪感で隠れる自分を探し歩く音がする。罰が怖い、、、。しかし、叫んでいるのは悪魔ではない。私たちを愛してやまない主なる神だ。
 原罪とは「悪いことをした」という単発的な行いではない。茂みに隠れるアダムとイブのように、根源的に大切な存在を裏切っていて、相手からも自分からも逃げ、孤立し、隠れている。そんな自我の隠蔽体質のことだ。
 主は隠れる私たちに呼びかける。「どこにいるのか。」全知全能の神は当然知っている。それでも聞くのは、私たちが自分に責任を持ち、自分の弱さを隠さず、再びご自分と交わって欲しいから。神が私たちを探し回って呼ぶのは、呪いで罰するためだけではなく、罪を罰して正義を打ち立てたあと、それ超える祝福の交わり、死を超える命に与らせるためだ。
 父は隠れる私たちに呼びかける。そして私たちは、人となって私たちの内に宿られたイエスに結ばれて、父に応え始める。主の十字架の内に自分の弱さを見つめ、それでも赦しを信じ、罪を隠さず真っ直ぐ父に返事をする。「はい、私はここにいます。あなたの心が成りますように。」そうして赦しの食卓に招かれる。

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聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

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