「父とわたしが来て、その人の内に家を建てる」ヨハネ14:23 (復活節第六主日)

2016/05/01

 どれだけ信仰生活をしていても、大切な人に先立たれると寂しいものです。それまで身近だった肉体的な存在がもう無い。心にぽっかり空いた不在の穴に、風がビュービュー吹きます。
 イエスさまの復活後の初代教会にも別れの時がありました。確かにイエス様の復活は爆発的な生きている喜びでした。復活したイエス様は、手で触れて話ができ、一緒に朝食も食べられる肉体的な存在でした。もう何の質問も不要とするほどに、死に対する命の勝利は明らかでした。
 しかし天から降り、肉なる者となって私たちの人間性を受け取ったイエス様は、復活後にこの人間性を父なる神に持ち帰らねばなりません。でないと私たちはいつまでたっても父に帰られず、救われません。別れの時が来た。頭では分かっていても心は不安。私たち教会はこれから何に頼ってこの世を歩めばよいのか。 
 表題の言葉がその答えです。「父とわたしが来て、その人の内に家を建てる。そこでずっとあなたと一緒に住むから。父とわたしの愛し合う神の関係、わたしが語る愛の言葉、そしてわたしの霊的な存在を、あなたの内なる家に満たすから。だから霊的存在を信じて歩みなさい。」 
 イエスと父の霊的存在に満たされる家、それが教会です。それが聖霊の働きです。堅固な家のように私たちを守る「弁護者」の働きです。



このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 イエス 信仰 受肉 祈り 三位一体 神の国 聖霊 アッバ 癒し 赦し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ アブラハム クリスマス ゲセマネ 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 羊飼い 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ