「天使が人の子の上に昇り降りする」ヨハネ福音書第1章51節 (B年顕現後第二主日) 

2015/01/18

 これは天国の階段か。18歳の僕はそう思い、利尻富士を登りました。楽しみも友達も生きがいも見出せない大阪での大学生活から逃げ、独り最北の島を登っていました。富士山が海に浮かんだ姿の島です。真っ直ぐについた登山道は、左右どちらを見下ろしても1700m、海まで何の障害物もなく見下ろせます。夏晴れの下、頂上で360度の海岸線をぐるりと見渡せば、なぜかとてもホッとして、なぜか孤独感が癒されて、つい昼寝をしてしまう程でした。
 これは地獄の階段か。4年半後、僕は米国の凍て付く大学寮にいました。大学の乾いた学問ではもはや生身の魂は潤されません。同居するクリスチャンのように神を信じて明るくいきたい。でも信じ切れない自分がいる。鬱っぽくなり疎外感が激しく、人目を避けていました。そんなわたしにとって、明るく社交的な学友たちが集まる地下の食堂へ降りていく階段は、大げさですが、まるで地獄への階段のように思えました。救われない自分をまざまざと感じさせられる場所、そこへ降りていく階段でした。
 旧約のヤコブが階段を見たのは、命からがら逃げる夜でした。天地を結ぶ階段を天使が昇り降りし、「わたしは必ずお前を守る」と神が約束したのです。
 ヨハネ福音書はイエスさまの上に天使が昇り降りし、神とわたしたち人間を結ぶと言います。十字架と復活のイエスこそ天の階段であり、また地獄のように苦しむあなたを救いに来る地獄の階段だ、と。人生の昇りも降りも、あなたの人生のすべての時はイエスさまという階段が支えているのです。

このブログを検索

そのほかのメッセージ

ラベル

復活 十字架 神の愛 聖餐式 イエス 信仰 受肉 祈り 三位一体 神の国 聖霊 アッバ 癒し 赦し キリスト 委ねる 悔い改め 救い 自分らしさ アブラハム クリスマス ゲセマネ 勝利 召命 変容 恵み 悪霊 教会 昇天 神の子 羊飼い 解放 ぶどう園 インマヌエル ゲッセマネ 兄弟姉妹 喜び 大祭司 奇跡 嫉妬 子ども 弱さ 忍耐 悔い改め、荒れ野 悪魔 感謝 放蕩息子 洗礼 洗礼者ヨハネ 神の支配 行い 過ぎ越し 陪餐 うつ かみのくに からし種 み名 み心 アダム イスラエル エリヤ ガリラヤ サマリア人 ザアカイ スキャンダル タラントン タリタクム トマス パン裂き ピスティス ペテロ ペトロ マリア マルタ メシア ヤイロ ユダ ユーカリスト ラザロ 不安 不正な管理人 主の祈り 今ここに 伝道 信頼 偶像 共感 再創造 再臨 出エジプト 創造主 十戒 受難 境界線 天国 奉仕 奉献 婚宴 宣教 希望 平安 律法学者 従順 忠誠 憐れみ 懺悔 成就 戒め、山上の説教 承認欲求 招き 新しい創造 最後の晩餐 栄光 楽園 権威 歴史 毒麦の譬え 洗足式 灰の水曜日 無力 父、三位一体 独り子 生きる意味 疑い 病い 真理 礼拝 祝福 神の家 神の言葉 神殿 祭司 種蒔き 絶望 聖書 自己肯定 自由 苦難の僕 裁き 見失った羊 覚悟 親密さ 観想 記憶 誓約 誘惑 譬え 貧しい人 貧しい人、共有、復活 賜物 賢明さ 迫害 追放 重荷 障害 静けさ 食卓

自己紹介

自分の写真
大津市, 滋賀県, Japan
聖公会京都教区の司祭です。大津聖マリア教会勤務です。うつ当事者として自助グループ「マ・カタリーナ」の世話人もしています。リンクをご覧ください。

日本聖公会京都教区 大津聖マリア教会

Wikipedia

検索結果

コメント

名前

メール *

メッセージ *

Tags

QooQ