これは天国の階段か。18歳の僕はそう思い、利尻富士を登りました。楽しみも友達も生きがいも見出せない大阪での大学生活から逃げ、独り最北の島を登っていました。富士山が海に浮かんだ姿の島です。真っ直ぐについた登山道は、左右どちらを見下ろしても1700m、海まで何の障害物もなく見下ろせます。夏晴れの下、頂上で360度の海岸線をぐるりと見渡せば、なぜかとてもホッとして、なぜか孤独感が癒されて、つい昼寝をしてしまう程でした。これは地獄の階段か。4年半後、僕は米国の凍て付く大学寮にいました。大学の乾いた学問ではもはや生身の魂は潤されません。同居するクリスチャンのように神を信じて明るくいきたい。でも信じ切れない自分がいる。鬱っぽくなり疎外感が激しく、人目を避けていました。そんなわたしにとって、明るく社交的な学友たちが集まる地下の食堂へ降りていく階段は、大げさですが、まるで地獄への階段のように思えました。救われない自分をまざまざと感じさせられる場所、そこへ降りていく階段でした。
旧約のヤコブが階段を見たのは、命からがら逃げる夜でした。天地を結ぶ階段を天使が昇り降りし、「わたしは必ずお前を守る」と神が約束したのです。
ヨハネ福音書はイエスさまの上に天使が昇り降りし、神とわたしたち人間を結ぶと言います。十字架と復活のイエスこそ天の階段であり、また地獄のように苦しむあなたを救いに来る地獄の階段だ、と。人生の昇りも降りも、あなたの人生のすべての時はイエスさまという階段が支えているのです。
